勝利の女神様のあしあと

「人生は舞台」、私たちは次の舞台へ。

劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトを観た感想③

劇場版スタァライトを観た感想③、前回からの続きです。お待たせしました。笑

一応言っておきますが、ネタバレありきで語るので、まだ観てない人はご注意ください。
また感想①で述べたことを踏まえて語るので、まだ読んでいない方は感想①から読んでいただくと分かりやすいかと思います。


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⦵華恋とひかりの課題

ようやくここまで来ました。笑
華恋とひかり。スタァライトのラストを飾るのはやはりこの2人です。

今までの面々は雨宮メモの3つの命題(※感想①参照)に則りそれぞれに1つずつのテーマを中心に語ってきましたが、華恋とひかりの2人に関しては「状況・選択・執着」の、全てが当てはまります。

華恋は、「ひかりとの約束を果たして燃え尽きている状態」であり、次の道への選択肢すら見つけられていません。それはスタァライトという舞台への執着と、約束への執着とひかりという少女への執着…そのどれもが捨てられないでいるためです。

ひかりに関しては、「華恋のキラめきに魅せられそうな自分を守るため」にロンドンへと帰っている状況で、それは自分の道を選択したというよりは逃避であるといえます。そしてやはりひかりも華恋への執着も捨てられずにいる状態です。

冒頭のレヴューは、一見ひかりが華恋に向かって迷いなく突き放しているように見えますが、ある意味自分自身に言い聞かせているようにも感じられます。
ひかりもまた、華恋との運命の舞台に執着して何度キラめきを失っても立ち上がってきた舞台少女ですから、華恋と同じく、これからの進むべき道については何も分からない状態でしょう。けれど舞台少女の死を既に経験しているひかりには、華恋とは違い、「このままではいけない」という危機感は持っている。だからまだ道は見えずともとりあえず執着を断ち切るために距離を置こうとした、というのもロンドンへと戻った理由の一つにありそうな気もします。

2人に共通して言える越えるべき課題は、「お互いへの執着を捨て、自分だけのキラめきを見つけること」でしょう。

✦華恋とひかりの関係性

元々華恋は内気で人見知りで、好きな物もなかった子でした。対してひかりは、活発で背伸びしたがる明るい性格の子でした。今の2人とは真逆だったんですね。

ひかりはよく華恋との関係について、「運命を交換した」と話す描写がこれまでのコンテンツ展開の色々な場でありましたが、「交換」というのは見方を変えれば「奪い合い」でもあります。
考えてみれば華恋とひかりの関係性って常にこの「奪い合い」で成り立っているんですよね。
華恋とひかりが打ち解けるきっかけになった、赤と青のカスタネットをお互いに鳴らし合うというシーンもそうですし、仲良くなった後にお弁当のおかずを奪い合うシーンもそうです。ここで2人は最初の"奪い合い"をしているわけです。
2人の関係はまさにこの奪い合いから始まり、奪い合いで収束しています。

今回の劇場版では、今まで分からなかった華恋のバックボーンが初めて詳細に描かれますが、いくつか不自然な描写が挟まっていることに気付きます。

まず私が大きな違和感を感じたのは、ひかりからの招待状を受けて、舞台を観に行くことにした華恋のシーン。ひかりの迎えを受けて玄関へと向かう華恋ですが、ここの照明が不気味に赤く光っていて不穏な雰囲気なんですよね。この赤い照明はアニメ版のオーディションでなながトップスタァになった時の演出と似ています。
この玄関の場面の直前に、華恋ママが「あの子の可能性が広げられたら──」というようなことを話していますが、その華恋はまさに今この時、"普通の女の子の喜び、楽しみを捨てなければならない舞台少女"に生まれ変わろうとしているというのが何とも皮肉です。

更にこの時、もう一つの違和感が。
玄関の扉を見つめる華恋がアップで映された時、その髪にあの王冠の髪留めが付いているんです。
時系列的にはまだ舞台観劇前なのでここで髪留めが既にあるのは明らかにおかしいです。
その理由について私は、「ここからの華恋の過去話は、回想ではなく現在の華恋が"役作り"の為に演じている舞台」だという風に解釈しました。(※この記事を書き終わった後に円盤を観たのですが、円盤では王冠の髪留めは消えていました。何十回も観ての感想なので見間違いでは無いと思うのですが…修正されたのでしょうか。いずれにしろここでは回想ではなく過去の再演という説で見ていきます。見間違えでしたらすみません。)

ここでいう"役作り"とは、ひかりが『競演のレヴュー』を終えて、出会ったキリンに「華恋はどこ?」と聞いた際に返ってきた「彼女は"役作り"の最中です。」というあの台詞です。
あの時、華恋は「自分だけの舞台」を探すために役作りをしていた。即ち、「自分という存在をもう一度見つめ直す為に華恋は過去の自分を演じて再現していた」ということかなと。

先程の玄関先でのシーンの後に、舞台の開演を知らせるブザーが鳴ります。
あれはスタァライトの舞台を観た」という表現であると同時に、「華恋の過去の再演の舞台が開演した」という表現でもあるように感じました。
「回想ではなく再演された舞台」と考えると、ここからの過去話における違和感のある表現も何となく腑に落ちます。

その違和感とは、華恋とひかりが例の公園で運命の約束をする場面。
この場面はアニメ本編の回想の時とは違い、滑り台の上ではなく、ぼんやりした背景の中に置かれた滑り台の前で約束をする、という描写になっています。
この背景の描かれ方にどこか違和感を覚えます。
ですがこれが先程言った「舞台の上だから」ということであれば、この背景が舞台セットであるということで納得が行きます。このぼんやりした手書き風の背景はその後の「ひかりが転校してきた日」の場面にもありますね。

この約束をするシーンの最後には東京タワーがクローズアップされ、カメラが上へ上へと移動するにつれてタワーの先端が滲むように伸びていきます。
東京タワーは華恋とひかりにとって「約束の象徴」です。
そのタワーの先端が滲んでいるということは、現在の華恋が「約束の先にある未来を不安視している」状態の比喩表現なのかなと思います。2人の約束が揺らごうとしているということなんでしょうね。

✦愛城華恋という"役" 

役作りを通して見えてきた愛城華恋は、テレビ版で見ていた『人懐っこく、天真爛漫な愛城華恋』とは全く異なるものでした。
やりたいこともなくいつも持ち歩いているゲームですら好きかと聞かれると「わかんない」と答えるほど、何も持たない、空っぽの状態。
そこに初めて"好き"を教えてくれたのが、ひかりだった。
華恋の口癖だった「ノンノンだよ!」という言葉も、実は舞台で演じた役の台詞だったということからも、私達が知っていた華恋の姿というのは、ひかりと出会い、舞台と出会ってから創り上げられてきた"愛城華恋という役"だったのだなと分かります。
幼少期の2人と現在の2人の性格が真逆だと感じるのも、ひかりの影響を大きく受けたからというのも多少なりともあるのかなと思います。

この「空っぽであるからこそ何者にでもなれる」という在り方は奇しくも天堂真矢が言った、『神の器』とほぼ同じです。
それを華恋は意識した訳でもなく生まれながらにして持っていたという所が、舞台少女・愛城華恋の才能でもあるのでしょう。

ですが、そんな役もずっとは続けられません。ひかりが約束を覚えているか不安になって思わず手紙に書こうとしたり、「見ない、聞かない、調べない」と言い聞かせつつも、欲望に負けてつい調べてしまったり…。
幼少期と変わらず繊細な心を持った華恋の姿が度々描写されますが、その"揺らぎ"こそが役を演じていない、素の愛城華恋の一面なんだと思います。

ひかりが転校して来た日、実はひかりがどんなに難しい学校に合格していたか、というのを知っていたにも関わらず、何も知らないフリをして「世間知らずでちょっとおバカな愛城華恋」を演じていたシーンもかなり印象的でした。
でもひかりが約束を覚えていてくれたのだと確信できたからこそ、華恋も難関の聖翔音楽学園への受験に向かって前向きに頑張れたのだろうな、なんて風に華恋の気持ちを想像すると、華恋の人間臭さがより際立って見える大事なシーンになっていると思います。

✦最後のセリフ

まひるに背を押してもらいキリン(観客)からのトマト(糧)を受け取って、華恋と向き合う覚悟が出来たひかりと、役作りを経て舞台へと上がった華恋が漸く向き合います。
この時ひかりがトマトを半分しか食べていない理由については、2人が1つのキラめきを共有しているからなのかなという説で考えています。
ひかりは幼い頃華恋と一緒に観た舞台で、「私には届かない」と感じて絶望しキラめきを失ってしまいます。その時に「一緒にあの舞台へ行こう!」と華恋からキラめきを分け与えられる形で再び舞台少女として再生産することが出来た、と考えれば2人が同じキラめきを共有している=お互いのキラめきを奪い合いながら生きている、と言い換えることが出来ます。
華恋とひかりの関係性は"奪い合い"によって成り立っていると最初の方でも言いましたが、キラめきにおいても同様です。
なので自分の分の燃料=半分だけのトマトを食べた、のかなぁと。(ここら辺はまだよく考えが纏まってません。)

対して華恋の所にもトマトはありますが、華恋は見向きもしません。
なぜなら華恋は"満たされている"から。あるいはそう錯覚しているから。
華恋は役作りを通して尚、「私にとって舞台はひかりちゃん」という結論から脱することが出来ません。
この時に華恋がこれまでの役作りを振り返るような台詞を述べるのですが、その中で『劇団アネモネという単語が出てきます。
スタァライトにとって花は意味深であることで有名(?)なので、アネモネ花言葉なんかもきっと意味がありそうだなと思って調べてみました。

アネモネ花言葉については以前調べたことがあり、その時に"花の色によって花言葉もそれぞれ違う"ということは知っていたので、じゃあ今回の場合どの色をピックアップすればいいんだろう?と思っていたんですが、何回目かの鑑賞時にある事に気が付きました。
それは華恋ちゃんが「劇団アネモネ」で主演舞台「青空の向こう」公演を終えて、自宅で食事会を開いているシーン。その時の食卓のテーブルクロスの色が「紫」だったんです。

幼稚園の時「見ないし聞かない!」をしていた頃の映像ではテーブルクロスの色は「赤」でした。そう、わざわざ色が変わってるんです。
私は最初、「華恋ちゃんの赤とひかりちゃんの青が混ざったから紫なのかな〜エモいなぁ〜」くらいの感想しか抱いてなかったんですが、これは「劇団アネモネ」に関係するのでは?と後で思い至りました。

そして紫色のアネモネ花言葉は、
"あなたを信じて待つ"

この食卓のシーンでは華恋が叔母さんに、
「怖いの?ひかりちゃんが約束忘れてたら〜、って」
と指摘されて押し込めていた不安が大きくなる描写が挟まってます。
華恋がこの最後の局面でわざわざ「劇団アネモネ」の名前を出した上で「ひかりちゃんがロンドンに行ってからも続けたし」と語ったのは、この花言葉のように「ひかりちゃんを信じて今まで頑張っていたんだよ」と伝えたかったのかな?と思うと、これまでの華恋の役作りの過程を見てきた観客側からするとグッと来るものがありますね。(あくまでも仮説のひとつです)

ちなみにアネモネ花言葉の由来には、ギリシャ神話の「花の女神フローラ」が関係する三角関係のもつれによるものも含まれています。フローラ…何ともスタァライトっぽいお話ですね。

と、少し話が逸れました。
ともかくそんな風に"ひかりとスタァライトの舞台に立つ"ことだけを目標に舞台に情熱を燃やしていた華恋ですが、ここまでの99期生のレヴューを見て分かるように他者を拠り所としている内は舞台少女としては成立しません。
ひかりにはそれが分かっているからこそ、華恋に「ここはもう舞台の上だ」というように観客の存在を教えます。
ここのね、第4の壁を越えて観客まで巻き込む演出はスタァライトらしいなと思いますよね。舞台は観客がいないと完成しない、というのがアニメ版の時から一貫しているので、2人がこちら側を見た時ゾワッとしました。
そこで華恋はようやく自分が今、「舞台の上」に立っていることに気付きます。
今までの華恋の舞台はすべて「ひかりちゃんと2人でスタァライトする」ために成り立っていたものなので、そこから外れた視点は持ち合わせてなかったんですね。
スタァライト以外には何も無い空っぽの自分に気付いた瞬間、華恋は舞台少女としての死を迎えてしまいます。

この時、ひかりが倒れた華恋に駆け寄り「ごめん、謝るから!」と叫ぶのですが、この言葉の意味が色々な意味合いを含んでいる感じがして結構しんどくなります。華恋の元から逃げてしまった"ごめん"なのか、そもそも華恋を舞台という場所に連れてきてしまったという後悔なのか…いずれにしろひかりが華恋を大切に想うからこその言葉でしょう。

そして死んでしまった華恋をひかりが抱きかかえますがこの構図は2人の過去のシーンでも度々出てきますよね。古川監督曰く「ピエタ」から着想された構図だそうですが、ここでは立場が逆転していますよね。
この逆転で華恋とひかりの奪い合うという関係性がリセットされた、交換していた運命が元に戻ったという意味合いも含まれているようにも思えました。

そしてここから始まる『スーパースタァスペクタクル』の歌い出しが本当にいいですよね。『お願いよ 華恋』の"華恋"って言い方が本当に天才。まさにミュージカルって感じで……好き。(IQ2)

ひかりに送り出された死した華恋がバミリの棺桶になって電車に突き刺さって砂漠を爆走します。(こうして文章にしてみると意味不明な日本語すぎる)

その電車を動かす燃料になったのが、"選ばなかった過去"です。
ゲームをして遊ぶ楽しみも、放課後に同級生達と駄弁ったり或いは男の子と関わったりする喜びも、ひかりとの運命だって。
そんな"有り得た可能性と執着"の全てを焼き尽くして燃料にして、華恋は選びます。
舞台少女として生きることを。
あの日舞台と出会った、幼い自分からのトマトを受け取って。

「ここが舞台だ、愛城華恋!」

ひかりのこの台詞にも、もう迷いはありません。
舞台少女として、共演者として、はたまた競演者として。華恋の前に立つことを選んだ、舞台少女としての覚悟が見えて…あの、ちょっと泣く。

死からの復活を果たした華恋を照らすスポットライトが画面を白く染め上げて、まるで観客席にまでライトが届くような、本物の舞台を観ているかのような没入感で観客の感情もMAXに引き上げられる演出、最高すぎます。
ここの『スーパースタァスペクタクル』の歌詞に今までのスタァライト楽曲の歌詞が散りばめられているのも素敵ですよね。

「列車は必ず次の駅へ。舞台少女は、次の舞台へ!」

この台詞こそがこのワイルドスクリーンバロックという舞台、この劇場版の全てを表してますよね。

華恋とひかりの口上には「99期生」という単語は入っていません。本当に次に進んだのだなと感慨深くなると共に少しの寂しさも感じます。
そしてひかりの口上には、天堂真矢と似たような言葉が入っているのも印象的です。今まで自分の我を見せなかったひかりが、ようやく「私」を主語にして自分に我儘になれた姿が本当に誇らしくて眩しいです。
華恋もそんな初めて見るひかりのキラめきに目を奪われそうになります。それと同時に華恋の中に初めて"悔しい"という感情が生まれます。

ここでひかりのキラめきの一部が華恋の胸の中に入っていきますが、これは「幼い頃華恋から分け与えられたキラめきの返還」なのかなと。
華恋のキラめきで舞台少女として甦ったひかりですが、もう自分だけのキラめきを見出したひかりには必要ありません。だから今度はひかりからキラめきが華恋へと返され、キラめきの精算がされたのかなという気がしました。

ひかりから受け取った「キラめきの芽」が華恋自身の情熱を浴びて膨らんで育って、華恋の武器Possibility of Puberty(思春期の可能性)」が折れます。
今までの華恋は思春期という他者の影響を受けながら育まれる限られた環境、モラトリアムの中だからこそ最大限のキラめきを発揮出来る強さを持っていました。
しかしこれからはもっと広い世界で、勝負をしなければいけない。
モラトリアムの殻を破る覚悟の証として剣が折れたのではないでしょうか。
もしくは刀身の長さ=キラめきの量という説もあるので(アニメ8話参照)、華恋に残っている本来のキラめきの量=折れて残った刀身の長さ分だったということも考えられます。(この辺は正直しっくり来る考察が出来ていません。あくまで可能性のひとつとして書き残しておきます。)

けれど華恋のキラめきの芽は今芽生えたばかり。
舞台少女としての覚悟が早かった差なのか、華恋の剣は届かずひかりの短剣が華恋の胸に突き刺さります。(この上掛けを落とす、のではなく心臓を貫く形で決しているのがまた良いですよね)
でもこの舞台を終わらせるのは華恋の役割。華恋の口から最後のセリフが紡がれます。


「私も、ひかりに負けたくない」


はあああああああー!!!!!ナイアガラの滝〜〜!!!!!!!

いやぁもう、もう!最後のセリフが最高すぎる〜!!!!
愛城華恋の口からこの言葉が聴きたかったんだよ!!!!わかります!!!

と、全米がキリンになった。

今まで悔しいとかそういう感情が無かった華恋。だって誰のこともライバルとは思っていなかったんですから当然です。華恋にはひかりとの約束しか無かった。
それが初めて自分より眩しい人を見て"悔しい"と思えて、そこからの「負けたくない」ですよ?本当に嬉しかったです。
そして"ひかり"と呼び捨てで呼んだこともね…やっと華恋とひかりが対等な関係になれたんだなって思えて本っ当にもう涙が出ました。

そして華恋の背中から大量のT(ポジションゼロ)が吹き出るのと同時に『ワイルドスクリーーーンバロック 終幕』のテロップ。何度観てもこの瞬間に涙腺ぶっ壊れます。

この溢れ出るTは、華恋がこれまでの人生で演じて詰め込んで来た、役達の残滓のようにも見えます。
そして華恋の身体を貫くように大量のTが溢れるこの光景、調べてみると原始星と呼ばれる星の誕生の瞬間と酷似しているんですよね。
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まさに新たな星(スタァ)として愛城華恋が生まれ変わった、という意味合いが含まれているのでしょう。
2人の決着と共にお互いの髪留めが外れるのも、呪いのような運命が解けて、運命のチケットとしての役割を果たしたんだなと思うと泣けますね。

更には2人の約束の象徴である東京タワーまで真っ二つになって飛んで、大きなポジションゼロに刺さります。
何か文章にするとバカっぽいですが(笑)、その「そんなバカな」を物凄い勢いと迫力で押し切って説得力を持たせるパワーを持っているのがこの作品の凄いところだと思います。
東京タワーが真っ二つに分かれたことで「2人で1つの運命」から「それぞれの運命の舞台へ」と道が変わったことがわかります。
そして割れた東京タワーを真上から見ると菱形のキラめき(✦←これ)に見えることから、"赤い二つ星"はこれのことだったんだなということに気付かされましたね。どこまで考えられてんだスタァライト…。

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そして『スーパースタァスペクタクル』の最後の歌詞が、
『いつか いつか 届きますように 空へ』
というアニメ版OPの『星のダイアローグ』を彷彿とさせるフレーズで終わっているのもまた素敵ですね。OPを最終回に持ってくる演出、オタク大好き。

華恋とひかりのレヴューの決着と共に2人以外の7人が上掛けを空へ放り投げて、鳥のように羽ばたいていく場面は卒業感が強くて涙腺に来ます。
あとひかりがニッと笑って短刀で自らの上掛けを切って飛ばすところは昔の、本来のひかりに戻ったように見えてグッと来ます。

「演じ、きっちゃった。"レヴュー、スタァライト"を。」
「私いま、世界で一番、空っぽかも。」

そう呟く華恋の胸にはTの形に裂けています。
これまでのレヴューの決着の際にもそれぞれどこかしらにTが出てきていました(ふたかおは鍵、ひかりとまひるはゴールの先、じゅんなななは分かれ道、真矢クロは契約書のサイン)が、かれひかは相手の胸に刻むというケジメの付け方なのが本当に最高です。

空っぽだという華恋にひかりはトマトを投げ渡して「次の役を探しに行きなさい」と華恋を送り出しますが、あれはひかりからのトマトであると同時に観客からのトマトという意味もあると監督が語っています。(実際、トマトは画面外手前から華恋に投げ渡されるような画角になっている)

きっと空っぽで空腹になった華恋はその糧を貪欲に喰らい、まだ誰も見たことのない"愛城華恋にしか出来ない役"を演じてくれるんだろうと思うと、彼女のこの先がもっともっと見たくなってしまいますね。観客とは我儘で欲深い存在ですから…わかります。

⦵エンドロール

エンドロールでは、ひかりがそれぞれの元を訪ねるという形に沿って、99期生達の卒業後の姿が少しだけ描かれていましたね。皆がそれぞれの進路で生き生きとしている姿が見れて寂しさと共に誇らしい気持ちにもなります。

映画冒頭で華恋が案内していた後輩がひかりを見て「あれ?あの人って…」と言っていたので、もしかしてひかりはあの後一旦聖翔に戻ったのでしょうか?それとも第100回聖翔祭を見ていて知っていただけなんでしょうかね。

エンドロールでも真っ二つになった東京タワーが描かれていて、やがてそれが2つのキラめきになってだんだん近づいて行くのは2人がやがてスタァとして再会する未来が想像出来て感慨深いですね。

華恋とひかりの2人だけは卒業後の進路についてハッキリとしたことは描かれていませんが、エンドロール後の華恋がリュックに王冠の髪留めを、ひかりがキャリーケースに髪留めを、それぞれ付けているのが2人の関係性の変化が分かって良いですよね。

エンドロール後の華恋については以前ふせったーで呟いて反響が大きかったツイートを載せておきます。



⦵総評

はい、ようやく何とか今年中に書き上げることが出来ました。
この感想を完成させるまでは劇場で味わった、{劇場体験}を上書きしないように円盤の鑑賞を控えていたので、これでようやく円盤を見ることが出来ます。笑
でも円盤を見たら物足りずにまた映画館で味わった迫力が恋しくなりそうな気がします。

一部の映画館ではなんとまだ上映している所もあるという異例の反響を呼んだ、『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』。

蓋を開けてみれば「卒業」ということをテーマにした至ってシンプルな内容であるのに、胃もたれする程の濃厚さに仕上がっているのが本当に意味が分からないくらい凄いです。
音から、映像から、物凄い勢いと迫力で全身ぶん殴られて、見終わった頃には何故かライブを見た後くらいに疲れている…その位のエネルギーが詰まった作品で、まさにこれは"舞台"だったな、と実感させられました。

贔屓目なしにアニメ史に残る素晴らしい作品だと思っているので、是非まだ観ていない人も一度は観て欲しいです。

最後に一言。

ひかりちゃんの「きっまり〜!」ニコニコクルクル〜♪のところの30分耐久動画をください。
永久にロンド・ロンド・ロンド出来る自信しかない。